健やかに育て

息子が出したいというので、5月のこどもの日を前に、こいのぼりを出しました。

天気は良いけど風が強い

息子のために、実家から贈られたもの。

健やかに育つようにと願いを込めて。

 

竿を立てて、こいのぼりを付けて、固定する。

準備や片付けは面倒くさいけど、こいのぼりを見て喜ぶのも、数年かもしれないから。

風に泳ぐこいのぼりを見ると、また今年も元気でこの日を迎えられることが嬉しく、出してよかったな。

 

自分が満たされて、それが溢れて他人を喜ばせることができるという。

私は明らかに自分満たし不足なので、まず自分を喜ばせることが必要みたい。

 

自分のことも、家族のことも、幸せにできる人になりたい。

継続は力なり

この言葉、よく聞くけれど体感がない。

それは「やる」が、少ないのだろう。

 

知る→やる→できる→わかる

 

やらなきゃ始まらない。

まずは知識を入れること。そしてやってみる。

そのうち、「あっ!」って思うときが来る。

はず。

 

まだまだ道半ば。

積極的に甘えた話

うちは義両親と同居なので、義両親、夫、わたし、子ども2人の6人家族だ。

家はいわゆる2世帯住宅で、玄関、お風呂は同じなんだけど、キッチンは1階と2階に付いている構造。

 

同居始まりのとき、夕食は一緒にという流れになり、ちゃっかり甘えて、毎日の夕食は義母が作ってくれることになっている。

義父が畑で野菜を作り、義母が夕飯を作る。嫁のわたしは、帰ったらほかほかご飯が待っている。

事実はこれだけなんだけど、今まで積極的に周りに言えなくて、それは「甘えてる、嫁のくせに、わたしの料理に自信がない」とか、いろいろ。

後片付けはするし、調理に間に合えば作ることもあるし、食費込みで生活費としてお金を渡している。

まぁ、そうなんだけど。どうも後ろめたくて。

 

なんか流れでこうなっちゃって。私が望んだわけじゃないのよ。作れって言われないしね。私が作るより品数多くて美味しいしね。

 

自分の潜在意識は、現実を見ればわかるわけで、ただその通りの現実になっている。

わたしの潜在意識は料理(家族の夕食)を作りたくないらしい。

 

義母が不在の時は、休日だったら世帯毎に別れて食べたり、平日だったら義父が焼きそばとか簡単なものを作ってくれている。

それで、またまた義母が不在の日がありまして、「今回はどうする?別々に食べる?何か作ろうか?」と義父に聞かれまして。

わたし「多分いつもと同じくらいの(帰宅)時間になるので、作るのお願いしてもいいですか?」

 

今までのわたしだったら遠慮してたと思う。

なんか主体的に、積極的に甘えたような気がするなぁと思って、だから今日はちょっと甘えんぼ記念日。

 

よく考えたらお手伝いさんに毎日ごはんつくってもらってるとか、よくある(?)話かもしれない。

忙しいなか、物価高のなかで、お金と時間のやりくりをして、家族のためにご飯を作るのがエライ設定があるのかもね。

 

今日も今日とて、義母ときどき義父の美味しいご飯が食べられて幸せなのです。