確実に達成できるところと、
何となくやり方がわかるけどやったことないところと、
方法すら思いつかないところと。
できるかどうかもわからない。
作れるかどうかもわからない。
行けるかどうかもわからない。
でも想像できたら、解決するかもしれない。
願いは叶うのかもしれない。
道は続いていくのだ、
ということを思ってみたりする。
なんでもない私の日常が変わった「設定変更」と「潜在意識」の世界
確実に達成できるところと、
何となくやり方がわかるけどやったことないところと、
方法すら思いつかないところと。
できるかどうかもわからない。
作れるかどうかもわからない。
行けるかどうかもわからない。
でも想像できたら、解決するかもしれない。
願いは叶うのかもしれない。
道は続いていくのだ、
ということを思ってみたりする。
【生きるぼくら】原田マハ
引きこもりの「人生」は、世話をしてくれていた母が突然いなくなったことから、外に出て、蓼科の祖母に会いに行く。
認知症の祖母の稲作への想いと、周りの大人たちの優しさから、長年祖母がこだわっていた自然農法での米作りに挑戦する。
実家は兼業農家だったので、もちろん現代の機械で田植えや稲刈りをやっていた。
でも自然相手の作業は本当に大変そうで。時期を見ながら、本業の調整もしなくちゃならないのだと思う。
今風の米作りでも大変なのに、おばあちゃんがやっていたのは昔むかしの自然のやり方。
それは、田んぼを耕さない、肥料を施さない、農薬を撒かない。おばあちゃんが、ご先祖さまがどれほど苦労してお米を作ったかを学んだ「自然の田んぼ」だ。
原田マハさんの小説らしくモチーフになった絵画(日本画)が出てくる。
東山魁夷の「緑響く」。
水面に緑の木々が反射していて、湖岸に白馬がいる風景は、教科書などで一度は見たことがあるのではないだろうか。
種籾から苗を育てて、田植え、日々のお世話、そして稲刈り。収穫したお米でおにぎりを作って母に食べてもらうために「人生」は母の元へ向かう。おばあちゃんの田んぼに帰ってくると約束して。
収穫後の藁は、また田んぼに戻され、土に還る。
「自然の田んぼ」の米作りは輪廻転生していく。
そして自分たちも、そんな自然の一部なんだと思えてくる。「いきるぼくら」
至福のとき。
こうやってページを作っていく時間。
これ好きだったんだなって気付いてから、ムフムフしながら過ごしてる。
このマスキングテープ使ったら可愛いかな?ピンクっぽくしてみよう、なんて考えながら没頭する時間が増えてきて嬉しい。
1週間分作ると決めているわけでもなく、途中途中に「ダラダラ書き」ページの罵詈雑言が挟まったり、収支計算ページが入っていたり。
たまには失敗したりも。
完全に自己満足だけど。それでいいのだ。
つまらないことに人生の時間を費やしている場合じゃない。