積極的に甘えた話

うちは義両親と同居なので、義両親、夫、わたし、子ども2人の6人家族だ。

家はいわゆる2世帯住宅で、玄関、お風呂は同じなんだけど、キッチンは1階と2階に付いている構造。

 

同居始まりのとき、夕食は一緒にという流れになり、ちゃっかり甘えて、毎日の夕食は義母が作ってくれることになっている。

義父が畑で野菜を作り、義母が夕飯を作る。嫁のわたしは、帰ったらほかほかご飯が待っている。

事実はこれだけなんだけど、今まで積極的に周りに言えなくて、それは「甘えてる、嫁のくせに、わたしの料理に自信がない」とか、いろいろ。

後片付けはするし、調理に間に合えば作ることもあるし、食費込みで生活費としてお金を渡している。

まぁ、そうなんだけど。どうも後ろめたくて。

 

なんか流れでこうなっちゃって。私が望んだわけじゃないのよ。作れって言われないしね。私が作るより品数多くて美味しいしね。

 

自分の潜在意識は、現実を見ればわかるわけで、ただその通りの現実になっている。

わたしの潜在意識は料理(家族の夕食)を作りたくないらしい。

 

義母が不在の時は、休日だったら世帯毎に別れて食べたり、平日だったら義父が焼きそばとか簡単なものを作ってくれている。

それで、またまた義母が不在の日がありまして、「今回はどうする?別々に食べる?何か作ろうか?」と義父に聞かれまして。

わたし「多分いつもと同じくらいの(帰宅)時間になるので、作るのお願いしてもいいですか?」

 

今までのわたしだったら遠慮してたと思う。

なんか主体的に、積極的に甘えたような気がするなぁと思って、だから今日はちょっと甘えんぼ記念日。

 

よく考えたらお手伝いさんに毎日ごはんつくってもらってるとか、よくある(?)話かもしれない。

忙しいなか、物価高のなかで、お金と時間のやりくりをして、家族のためにご飯を作るのがエライ設定があるのかもね。

 

今日も今日とて、義母ときどき義父の美味しいご飯が食べられて幸せなのです。

いきるわたしたち

【生きるぼくら】原田マハ

引きこもりの「人生」は、世話をしてくれていた母が突然いなくなったことから、外に出て、蓼科の祖母に会いに行く。

認知症の祖母の稲作への想いと、周りの大人たちの優しさから、長年祖母がこだわっていた自然農法での米作りに挑戦する。

 

実家は兼業農家だったので、もちろん現代の機械で田植えや稲刈りをやっていた。

でも自然相手の作業は本当に大変そうで。時期を見ながら、本業の調整もしなくちゃならないのだと思う。

今風の米作りでも大変なのに、おばあちゃんがやっていたのは昔むかしの自然のやり方。

それは、田んぼを耕さない、肥料を施さない、農薬を撒かない。おばあちゃんが、ご先祖さまがどれほど苦労してお米を作ったかを学んだ「自然の田んぼ」だ。

 

原田マハさんの小説らしくモチーフになった絵画(日本画)が出てくる。

東山魁夷の「緑響く」。

水面に緑の木々が反射していて、湖岸に白馬がいる風景は、教科書などで一度は見たことがあるのではないだろうか。

 

種籾から苗を育てて、田植え、日々のお世話、そして稲刈り。収穫したお米でおにぎりを作って母に食べてもらうために「人生」は母の元へ向かう。おばあちゃんの田んぼに帰ってくると約束して。

収穫後の藁は、また田んぼに戻され、土に還る。

「自然の田んぼ」の米作りは輪廻転生していく。

そして自分たちも、そんな自然の一部なんだと思えてくる。「いきるぼくら」

私の靴事情

靴に関しては、割とミニマムなんじゃないかと思う。

REGALの黒パンプス、スニーカー、黄土色のパンプス、ベージュのパンプス、REGALフラットシューズ、ショートブーツ、サンダル(キレイめ・カジュアル)

 

【用途限定】のもの

長靴、冠婚葬祭用のプレーンな黒パンプス、草履(キレイめ、カジュアル)

 

書き出し途中で、ビーチサンダルをサヨナラすることに決めたので、全部で12足。

ビーチサンダルは、新婚旅行のときの思い出<鼻緒が痛い のイメージでときめかなくなっていたのに、なかなか決心がつかなかった。

あ、もう満足かなって思うことができたので手放すことにしました。

 

基本的に気に入ったものを履き続けるタイプなので、履き潰して買い替えることが多いのかなと思う。

数が少なければいいというわけでもなく、高いものがいいというわけでもなく。

その人がときめく量と質に管理されていれば、それは成功の靴箱だ。